津市久居尾崎塾のブログ

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80年前の青春 山中・山女→宇治山田高校

先日、母校である宇治山田高校(伊勢市)の同窓会報に『過去のアルバム観覧できます』と記載があった。祖父、祖母、兄が同校出身。

祖父も祖母も鬼籍に入ってしばらく経つ。

二人の青春時代を見たく同窓会事務所に連絡を取った。

祖父は宇治山田高校の前身である山中。祖母も同じく山女。

二人は後年離婚し、祖父は当時住んでいた東京に、祖母は母を連れて伊勢に帰郷した。

ただ、俺たち二人の兄弟にとっては祖父母であり続けた。

 

8月の終わりに事務局から二人の写真がみつかったと連絡があったので久しぶりの母校へ。

 

まずは祖母、久子。

いつまでもお嬢様気分が抜けず、様々なトラブルを起こしたが、俺にとっては可愛らしいばあちゃんやった。クリームコロッケとビール煮とプリンの味はいつまでも忘れられない。昭和18年。まさに戦時中ということもあり祖父の昭和16年時のアルバムと比べ明らかに写真が少なかった。

 

 

そして祖父、明徳。山中を卒業後は旧制一高という当時の最難関の高校から東京大学法学部へ。※後に再婚した恵美子婆の父が新聞記者で、身辺調査をしたら一高・東大入学までは確認できたものの卒業は確認できないと不信がっていたとのこと。謎

女遊びや博打(主に競馬)に目がなく、東洋紡を退職後に放蕩の限りを尽くす。

そして一家離散。この離散があったので母は高学年以降伊勢市で育ち、後に父と出会う。

無職の明徳は同じ三重県出身の同級生、渥美俊一

ja.wikipedia.org

に誘われペガサスクラブ講師に。

本当に持つべきものは友だと思う。再婚した後も、様々なことがあったそう。

俺と会うときはいつも旧制一高時代を懐かしんでいた。

頭頂部に謎のこぶがあったが、80歳を過ぎたころに消失。

今回、不思議だったのは柔道部で三重県代表で国体に出て1回戦で負けたとかなんとか、とにかく、柔道でかなり鳴らしたと本人は話していたが、柔道部の写真には明徳は見つからなかった。またホラ話だったのか。。永遠の謎に。

 

明徳

 

おまけ

名門!宇治山田高校1年F組の